揚げログ

更新休止中・Karaageの活動報告とメモ

一ヶ月何もせずにおわった(7月のつぶやき)

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この文言が出るときは大体、

1.忙しい

2.ブログを書く暇もないくらい何かに没頭している

このどちらかだったのだが、今月はどうしたものか、何もせずに7月が終わってしまった。

今年2月までは受験生だったから、やることは常に山積していた(はず)。

なんというか、最近は何をするにもやる気が起きない。

だらけてるだけではないか、といった感じだが、実際のところは息をするようにしていたツイッターですら、めんどくさいレベル(これはこれでツイ廃卒業できてめでたい気もするが、自己評価的にこの状態は不健康。)

自分が楽しく毎日生きていた日々を思い出すと、それは何か没頭していることが沢山あった時代になる。

こんなことを書くのは数十回目な気がするし、僕の友人は耳にタコかもしれないが、今のところ人生で一番楽しかったと思っている年は2010年、中学三年の一年間。あの一年間は今思えばすごかった。

没頭していることがとにかくたくさんあった。

  

鉄道写真,iPodtouchのjailbrake,カメラ(50D購入),パソコン自作,部誌の編集長,電子工作,朝の趣味分野の雑誌立ち読み,旅...

こんなにたくさんのことに没頭できていたのは、心の余裕というか、何も追われてるものが無かった(強いて言えば中間期末くらい?)からかもしれない。

自分の高校では高1から何かと勉強勉強うるさく言われ、まわりも塾に通い始め、時間を積むだけで質のない勉強を始めるようになる。それを3年続けるも、何かと楽しそうな誘惑が多かった高校3年間、勉強に集中した期間はほんの僅かしかなく、めでたく浪人した。高校時代は楽しいことと心がズタボロにされることが半々くらいで有り、(昔に増して人を気にしすぎる性格もあり)心は荒んだ。

浪人中、前期は仲の良かった高校の友人と会ったり、レンズを何本か中古購入したりして割りと遊んでいたのだが、後期はさすがに勉強していた。というか勉強しかした記憶が無い。大学に行けばいろんな楽しみがあるという希望があったからこそ、そして模試の成績が毎回良かった(受験生2年目だし)のが、嫌いな勉強をやる気にさせていた要素だとは思う。

今年3月にめでたく長きに渡った受験生活が終わり、4月~5月中旬頃までは新たな気持ちで毎日新鮮な大学生活を送っていた気がする。委員にも積極的に関わり、様々なサークルの新歓にも行った。

しかし、新たなことを始める勇気が足りなかったのと、1年で片付ければよかったものを、だらだらと勉強して好きなことを自制してた結果、全ての好きなコトや趣味が薄れてしまい、気がついたら自分に何も残っていなかった。

ということに気付き、ガン萎えして引きこもりになりつつあるのが今の状態だ。

今回、誰も見てないであろうこのブログで弱音を吐かせてもらったが、やはりこういうことを多くの人が見ているツイッターで言うのはかっこ悪い(こういうことを考えてる時点ですでに人の評価から逃れられてない)し、心配をかけてしまってはよくない。

いつか自分の好きなこと見つかって何とかなるっしょ、って思って何もしていないと、本当に何もならないという当たり前のことを実感した7月だった。

先日、アパートの点検にきた不動産会社の方にずいぶんと「(一般的に)大学生活が楽しそうでうらやましい、私は何もせずに4年間終わってしまった。」と言われた。高校の時思っていた大学生活はまさにその方が言っていたようなものだし、現に自分の周りではそういう生活を手にしている人も少なくない。

結局、自分で動かなければ何も始まらないのが大学生活、そこも含めて自由なのだと気付いた。

自分にはどうも保守的な考えのほうが強い。

幸い、大学に入り、新たな友人からの後押しというものがあるから、色々と取り戻すと同時に、新しいことにも挑戦したいと思っている。